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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)8207号 判決 1994年7月12日

原告

外川多嘉江

被告

日本生命保険相互会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成三年二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、生命保険会社である被告との間で生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結していた外川明彦(以下「亡明彦」という。)が、交通事故を起こし、事故の三日後に急性心不全で死亡したことについて、亡明彦の母で、本件保険契約の保険金受取人である原告が、被告に対して、本件保険契約に基づく保険金の支払を請求したものである。

一  争いのない事実等

1  本件保険契約の締結

亡明彦は、昭和六〇年三月二三日、被告との間で、被保険者である亡明彦の普通(非災害)死亡時に二〇〇〇万円、災害死亡時に二〇〇〇万円のそれぞれ保険金が支払われる旨の本件保険契約を締結した(争いがない。)。

2  災害死亡保険金の支払事由

本件の災害死亡保険金については、災害割増特約及び傷害特約が適用され、被保険者が「不慮の事故」を直接の原因として死亡した場合に支払われる(甲一、乙一)。

3  保険金受取人

本件保険契約に基づく保険金受取人は、原告である。

4  次のとおりの交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

日時 平成三年一月二八日午後六時ころ

場所 静岡県富士吉田市新倉二六一七番地先路上

態様 亡明彦が自動車を運転中、運転操作を誤つて対向車と衝突した。

5  亡明彦の死亡

亡明彦は、平成三年一月三一日に急性心不全により死亡した(以上の3ないし5につき争いがない。)。

二  争点

被保険者である亡明彦の死亡が、災害死亡保険金の支払事由である「不慮の事故」によるものであるか否か(原告は、亡明彦が本件事故に基づく急性心不全により死亡したと主張する。これに対して、被告は、本件事故による亡明彦の受傷と、心筋梗塞による死亡との間には因果関係が認められないので、本件事故は「不慮の事故」には該当しないと主張する。)。

第三争点に対する判断

一  証拠(甲二ないし四、五の1ないし8、検甲一ないし四、乙二ないし四、証人鈴木博、鑑定、各調査嘱託)によれば、以下の事実が認められる。

1  亡明彦は、昭和一八年四月一七日生まれ(本件事故当時四七歳)であり、大学を卒業後、すぐに自動車販売会社のセールスマンとなり、昭和五一年に結婚した。その後、亡明彦は、交通事故で頸部を負傷したことから、約一八年間勤めた右会社を退職し、そのころから、夫婦仲が悪くなつて、昭和六〇年に離婚した。亡明彦は、右離婚後、次第に酒びたりの生活を送るようになつて、アルコール依存症となり、このため、平成二年二月一三日から同年四月二五日まで、同年八月二一日から同月三一日まで、同年一〇月二〇日から平成三年一月一九日までの三回にわたつて入退院を繰り返した。

2  亡明彦は、本件事故後、すぐに山梨赤十字病院で治療を受けた。右初診時に、医師は、亡明彦の顔面を中心とする数カ所の傷の縫合処置等を行つた。また、右初診時において、亡明彦に意識障害はなく、頭部のCT検査の結果にも異常がなかつたが、医師は、亡明彦が本件事故によつて頭部を打撲しており、時間的経過によつて状況が変化することも考えられることから、亡明彦に対して入院を勧めた。しかし、亡明彦は、入院することを強く拒否し、帰宅した。

3  亡明彦は、本件事故の翌日である平成三年一月二九日と同月三〇日に右病院に通院して、傷の処置を受けたが、その際、特別な症状は訴えていなかつた。そして、亡明彦は、同月三一日の午前中にも右病院に通院し、傷の処置を受けたが、その際、比較的少量の睡眠薬を受け取つて帰宅した。亡明彦は、右帰宅後、すぐ寝床へ行つた。その後、原告が、同日午後三時ころ、亡明彦の様子を見たところ、既に意識がなく、身体が冷たくなつていたことから、すぐ救急車で右病院に搬送した。右病院に到着した際、亡明彦には完全に生活反応がなく、医師が心肺蘇生を試みたが、同日午後四時一四分に蘇生を断念し、死亡を確認した。右死亡後、医師は、亡明彦の頭部CT検査を行つたが、異常がなかつた。

4  亡明彦の死亡した翌日の平成三年二月一日、裁判官の鑑定処分許可状に基づき、山梨医科大学法医学教室教授大矢正算によつて解剖が行われた。その結果、亡明彦の顔面には多数の浅い切創が不規則にあり、右手背にも多数の表皮剥脱と切創があり、これらの切創の多くは縫合処置が施され、黒褐色の痂皮が形成されていた。左前頭部には小児手掌面大の頭皮内出血があつたが、頭蓋骨に骨折はなく、硬膜外出血、硬膜下出血、くも膜下出血、小脳脳幹部の出血、挫滅巣はなく、胸腹部皮下筋肉内の出血もなかつた。大動脈は硬く、著名な内膜肥厚斑があつたが、肺動脈に塞栓はなかつた。胃内にアルコール臭を伴つた灰褐色液状物が二〇〇ミリリツトル入つていた。肝は一九九〇グラムで硬く、表面は黄褐色で、やや不整であり、割面の血量は中等量で、小葉の構造は不明瞭であり、中等度の脂肪変性があつた。胸骨助骨に骨折はなく、助間筋肉内に出血はなかつた。ガスクロマトグラフ法によつて、心内血中から一ミリリツトル当たり二・八一ミリグラム、尿中から一ミリリツトル当たり四・一四ミリグラムのエチルアルコールが検出された。組織学的検査によつて、心筋繊維の壊死巣と肝細胞の脂肪変性が確認された。右解剖結果のうち、心臓に関する主要なものは、次のとおりであつた。

(一) 心は三七〇グラムで手挙大よりやや大きく、硬い。

(二) 心外膜下の脂肪沈着は強く、溢血点はない。

(三) 諸弁膜はやや硬く、斑状沈着がある。

(四) 肉柱腱索乳頭筋に出血や壊死はない。

(五) 大動脈起始部の幅は七センチメートル、肺動脈起始部の幅は九センチメートルである。

(六) 冠状動脈の走行は正常で硬く、著名な内膜肥厚斑がある。

(七) 左室心筋の厚さは一・九センチメートルで褐色ないし灰褐色でやや混濁しており、後壁に壊死巣があるが、出血はない。

(八) 右室心筋の厚さは〇・五センチメートルで、脂肪浸潤がある。

(九) 心筋梗塞の範囲は、ほぼ左心室後壁全体に及んでおり、左心室心筋の厚さが一・九センチメートルであつたので、ほぼそれに近い深さであつた。心筋梗塞の程度は、心筋ポンプ失調どころか、急激に心不全を来たし、心停止するほどであつた(調査嘱託に対する大矢教授の回答)。

5  鑑定人尾崎孝平が、前記4の解剖を行つた大矢教授から入手した亡明彦のホルマリン固定心筋切片二片を直接検討した結果では、心筋層内に脂肪浸潤がみられ、心筋細胞はやや萎縮し、一部走行が不規則な部分が認められた。

二  前記一で認定したところによれば、亡明彦には、本件事故によつて、顔面、右手背に多数の浅い切創等と左前頭部の頭皮内出血を生じたが、その他には、頭部、胸部等に受傷した部位はなく、本件事故直後から意識障害はなく、右初診から三日間続けて通院し、傷の処置を受けたが、その期間中、とくに異常は訴えておらず、死亡当日の午前中にも通院して治療を受けているが、その際も傷の処置を受けるとともに、比較的少量の睡眠薬を受け取つて帰宅した程度であつたことからすると、右初診時から死亡当日午前中までの四日間の通院中に、亡明彦の心臓の異常を窺わせる症状は全くなかつたと解される。

さらに、右認定事実によれば、亡明彦は、本件事故当時までにかなり長期間にわたつて多量に飲酒した結果、アルコール依存症となり、右病名で前後三回にわたつて入院し、最後に退院したのは本件事故の一〇日前であり、また、右解剖結果では、亡明彦の心臓は肥大し、冠状動脈は硬化し、内膜肥厚斑が著名であることから、亡明彦は、生前から既に動脈硬化症による高血圧が長く続き、心臓に負担のかかつた状態にあつたと解される。

そして、右解剖結果によれば、亡明彦の胃内にアルコール臭を伴つた灰褐色液状物が入つており、心内血中から一ミリリツトル当たり二・八一ミリグラムものエチルアルコールが検出されていることから、亡明彦は、死亡直前に相当多量のアルコールを摂取し、急性アルコール中毒状態にあつたと解される。

そうすると、亡明彦が心筋梗塞で死亡したのは、亡明彦が生前に心筋梗塞を発生させるに充分な危険因子を有しており、これに、死亡直前に大量のアルコールを摂取したことが加わつて心筋梗塞を発症し、死亡したもので、本件事故と心筋梗塞の発症との間には因果関係が存在しないと解するのが相当である。したがつて、亡明彦の死亡は、災害死亡保険金の支払事由である「不慮の事故」によるものであるとは解されない。

三  以上によれば、原告の請求は理由がない。

(裁判官 安原清蔵)

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